ナラ・レオン (Nara Leao)
ブラジル 歌手 ギター奏者
ナラ・レオン(1942〜1989)(本名ナラ・ロフェーゴ・レオン)は、
ブラジルのエスピリトー州ヴィトーリア市で生まれた。父は
弁護士で経済的に恵まれた生活を送っていた。ナラ・レオン
が1才の時にリオ・デ・ジャネイロに移住。このマンションが
後にボサノバ誕生の舞台となる、ナラ・レオンのサロンである。
12才の時にギターを手にしたナラは習っていたギター教室
の講師であるホベルト・メネスカルとカルロス・リラを通して
多くの若手音楽家と知り合うようになる。当時流行っていた
サンバ・カンソンに飽き飽きとしていた彼等はナラ・レオンの
マンションに入り浸るようになり演奏をし、議論を交わした。
コパカバーナのマンションは音楽家のサロンと化していった。
このナラ・レオンのサロンを訪れたアーティストはボサノバ
に関わるアーティストほぼ全てといって良い程で、程なくし
訪れた
アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルト
ヴィニシウス・ジ・モライスによりその誕生が決定付けられた。
第二次世界大戦における農作物の輸出でバブル期を謳歌した
ブラジルだったが、やがてバブル崩壊と共に政治不安を催し
軍事政権の台頭を許すようになった。バブルの崩壊とともに
ボサノバブームも消沈し、カルロス・リラの影響を強く受けた
ナラ・レオンはボサノバと決別し、サンバや民謡を歌うように
なった。1963年にはファーストアルバム「ナラ」を発表。
ボサノバを歌わないナラ・レオンにプロデューサーは不満だっ
たようだ。セカンドアルバム「オピニオン・ジ・ナラ」では、
この流れがより加速。ボサノバ決別を印象付けた。
1966年にはシコ・ブアルキの「ア・バンダ」を歌い第2回
MPB音楽祭で優勝。反軍事政権の運動であるトロピカリスモ
に
カエターノ・ヴェローゾ、
ジルベルト・ジル等と参加する。
この結果政治的圧力を受けたナラ・レオンは1968年から
フランス亡命を余儀なくされる。この時期ボサノバと和解。
トッカやジョルジュ・ムスタキ等と共演した。
1970年代は育児を主な理由に音楽活動は休止していたが、
1977年発表の「Os Meus Amigos Sao Um Barato」を機に
第一線に復帰。様々なブラジルの音楽に取り組み、ブラジル
国内におけるボサノバ最注目のきっかけを与えた。
その後もアメリカンスタンダードを歌ったり精力的に活動を
していたナラ・レオンだったが、1989年脳腫瘍によって
47才の短い生涯に幕を下ろした。
![]() Os Meus Amigos Sao Um Barato |
亡命していたフランスから帰国した後の作品。トム・ジョビンにホベルト・メネスカル、カルロス・リラにジルベルト・ジル、シコ・ブアルキ等豪華メンバーで質の高い演奏が繰り広げられる。ボサノバとMPB両アーティストとの共演が意味したものとは?ナラ・レオン激動の人生の回顧録的作品。 詳細ページは → こちら 購入ページは → こちら |
Nara Leao
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ナラ・レオンはボサノヴァ誕生にもトロピカリア隆盛にも関与したブラジル芸術の申し子と言うべき存在かもしりません。47年の短い生涯を終え、今現在もブラジルで彼女を忘れるものはいないといいます。
なんと、ナラ・レオンさんはそんなに若くして亡くなっているんですね。彼女の歌声を聞くと気持ちが軽くなりますし、最高の休日を演出してくれます。これからも、大切に聴いていきたい音楽ですね。
トッラクバックありがとうございました。
彼女の声、大好きです。
47才は若すぎますよね。ボサノバとトロピカリスモの波に揉まれ、激動の人生を駆け抜けていった。そんな感じがします。しかし、彼女はアルバムとして今に残っています。今尚彼女の音楽に触れることが出来るのは幸せなことだと思います。
ナラ・レオンの声はどこかほのぼのとしたまろやかなものですよね。バブル時代に流行ったボサノバに別れを告げフランス亡命中に和解するまでの間、ブラジルの泥臭い民謡に取り組んだ彼女の意思は案外そんなところに表れているのかも知りませんね。
このアルバムはナラ・レオンの人生というか歴史が感じられるのがいいですね。いろんな音楽が聴こえてきて楽しい。
本当にそうですね。「Os Meus Amigos Sao Um Barato」は1960〜1970年代の激動の時期を乗り切ったナラ・レオンが残したいわば集大成の作品と言えるのではないでしょうか。ブラジルを愛した彼女は多民族国家としてのブラジルをこのアルバムに残した。その表現の仕方は様々なジャンルのブラジル音楽を一つのアルバムに収録するという事だったのかもしりません。
この人って本当にキャリアの最初から全くボサノバ歌手じゃなかったんですよね。いろんな本でボサノバ歌手として紹介されているのは、やはり「美しきボサノバのミューズ」の出来が素晴らしいからなんですよね。本当はエリスと並んでMPBの扉を開き、トロピカリズモにも参加した、MPBの主犯とでも言うべき人なのにと少し残念に思います。
そうですよね。それにしてもボサノヴァ誕生にもトロピカリスモの創成期にも立ち会うとは、常に時代の先に対する嗅覚があったんでしょうね。若すぎる死が惜しまれます。