キング・サニー・アデ (King Sunny Ade)
アフリカ ジュジュミュージシャン
キング・サニー・アデ(1946〜)はナイジェリアのOshogboでメソジスト派の牧師
の子として生まれた。中学を辞めるとラゴスへ赴いた。I.K.Dairoの音楽に
感銘を受け、Moses Olaiya(後にBaba Salaと呼ばれるようになる。)が率いた
ユニット、リズム・ダンディーズに参加する。
やがてジュジュ音楽の開祖とも言うべきTunde Nightingaleに影響を受け、
彼の提唱する「So wa mbe」様式からキング・サニー・アデは
自らのスタイルを形成していった。
1966年に自らのバンド、グリーンスポットを結成。8年の活動の後、
バンド名をアフリカンビーツに変更する。アフリカンビーツは
20〜30人の大所帯でナイジェリア国内で人気を博した。
一方で、この背景にはビアフラ戦争の影響が隠れており、
ナイジェリアでイボ族が追放されヨルバ族が台頭するに至って
その音楽であるジュジュも国内で市民権を得たという見方もある。
いずれにしてもナイジェリア国内で成功を収めたキング・サニー・アデは、
アイランドレコードに見出され、ポストレゲエのエスニックミュージック
として世界市場に進出し、ここでも大きな成功を得る事となった。
<レビュー掲載作品>
![]() Ju Ju Music |
キング・サニー・アデ1982年の作品。ナイジェリアにおいて成功したジュジュ音楽がアイランドレコードの元で世界進出を図った世界デビューアルバム。この作品が商業的にも大成功したことで世界のアフリカ音楽へのまなざしが変わったとさえいわれる作品。 詳細ページは → こちら 購入ページは → こちら |

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不思議なものでちょうど(といってもナイジェリアに近いというだけですが)コートジボワールのアマドゥ・クルマの小説を読んでいるところでした。
当時はアイランドのポスト・レゲエ戦略に僕もまんまとのせられてしまいました。これが無かったらワールド・ミュージック(この表現もどうかと思いますが)を聴くことにはならなかったでしょうね。だからテレサ・テンも聴いてなかったかも(笑)
たぶんこんな軽い音は聴いたことがなかったのでそれだけで衝撃だったんですね。むしろヨーロッパのマーケットがスターベーションだったのかも。
久しぶりにアナログ盤を出して聴いてみようかな。
最近変に忙しくてblogもあまり更新出来ず散歩も出来ず音楽ネタもなしで・・・早く夏にならないかな。
ワールドミュージックを聴くきっかけがキング・サニー・アデだったのですか。それは奇遇ですね。レコード会社の商業戦術とはリスナーの心をつかめる音の探索及び啓蒙に他ならないのですから、戦術に乗っかる事はリスナーとして重要な事なのかもしりませんよ。またお邪魔します。