リー・モーガン (Lee Morgan)
ジャズ トランペット奏者
リー・モーガン(本名:Edward Lee Morgan)(1938〜1972)は、ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれ。
ジャズ好きの4人兄弟の末子として生まれたリー・モーガンは14才の誕生日にトランペットを買ってもらう。
以来、毎日8時間もトランペットと向き合う日々を過ごした。クリフォード・ブラウンが当時のアイドルだったようだ。
既に神童として地元で有名になっていたリー・モーガンは、17才になると演奏していた地元のクラブに
マイルス・デイビスやソニー・ステット等が訪れるようになり、共にジャムセッションをするまでに
なった。
1956年、18才になったリー・モーガンはディジー・ガレスビー楽団に参加。更に同年、
ブルー・ノートより「Lee Morgan Indeed」でソロデビューも飾り、1957年の作品
「Lee Morgan Vol.3」では、「アイ・リメンバー・クリフォード」を取り上げ、
クリフォード・ブラウンの再来として一躍脚光を浴びる事となった。
1958年になると、アート・ブレイキー・アンド・ジャズ・メッセンジャーズに活躍の舞台を移し、
後のジャズ・ロックの下地を作る事になる。
しかし、1960年代の始めは体調を崩し一線から退いていた時期もあった。
復活を遂げたのは1964年発表の「ザ・サイドワインダー」。
8ビート取り入れたジャズでジャズ・ロックを提唱し、ジャズ界に大きな衝撃を与えた。
同作品はビルボードアルバムチャートで最高25位まで駆け上がる異例のヒット作となった。
リー・モーガンはハーフ・バルブに特徴付けられる奏法と、ジャズ・ロックの提唱で
ジャズ界の寵児となったが、1972年にニューヨークのクラブ「スラッグス」での演奏の合間に、
愛人のヘレン・モアに射殺され帰らぬ人となった。
![]() The Big Beat |
ジャズメッセンジャーズ1960年の録音。ベニー・ゴルソンに代わり新しくウェイン・ショーターが音楽監督として就任し、約半年後に録音された作品。若いアーティストに思い切って現場の事を任せる。アート・ブレイキーの大胆な試みが花開いた傑作。 詳細ページは → こちら 購入ページは → こちら |
リー・モーガン

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