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ジュリエット・グレコ (Juliette Greco)

  

ジュリエット・グレコ (Juliette Greco)

シャンソン歌手

ジュリエット・グレコ(1927〜)は仏モンペリエ生まれ。7才時にパリへ移住。 やがて第二次世界大戦が勃発。レジスタンス活動をしていた母と姉は 強制収容所に送られてしまう。一人になった15才のジュリエット・グレコは 自活する事を余儀なくされた。電話交換手の仕事をしながら演劇の勉強をし、 端役をもらってはその日しのぎの毎日を過ごしていた。

1945年に第二次世界大戦は終了した。丁度その頃サンジェルマン・デ・プレの酒場 「タブー」はサルトルを中心とした実存主義の有識者が集まる溜まり場と化していた。 ジュリエット・グレコも「タブー」に出入りしており、その美貌も手伝って 「タブー」のアイドルと化していた。1947年、「タブー」がサムディ・ソワール誌 そしてやがて海外誌であるタイム誌に掲載されるようになると、「タブー」は観光名所となり、 ジュリエット・グレコの名も広く知られるようになった。

そんなジュリエット・グレコはキャバレー「屋根の上の牝牛」の支配人マルク・デルニス の目にとまり、1949年マルク・デルニスの説得によって歌手としてデビューする。 この考案は大成功を収め、たちまちのうちにパリ中がジュリエット・グレコの話題で 沸騰するようになった。

1951年にジュリエット・グレコはドーヴィルのシャンソンコンクールに参加し、 「私は日曜日が嫌い」でエディット・ピアフ賞を獲得。その翌年1952年には 「ロマンス」によってACCディスク賞を受賞。シャンソン歌手として確固たる 地位を気付き上げた。

実存主義の表現形態の一つとして前衛的な詞をシャンソンに乗せて歌い続けてきた ジュリエット・グレコ。第二次世界大戦に翻弄された少女期、深遠なる思想の深みに 身を委ねた時期。美貌を有しながらもそれだけに甘んじることなく、激しい 時代の波を乗りこなし、歌唱における方法論を築き上げたジュリエット・グレコ。 深みにあふれるその歌唱と朗読するようなディクション。サンジェルマン・デ・プレ のミューズと呼ばれた彼女は今も尚健在である。


<レビュー掲載作品>

Juliette Greco / The best of Juliette Greco
The best of Juliette Greco
マーキュリーフォーエバーコレクションとして2000年に発売されたジュリエット・グレコのベスト盤。主に1960年前後の録音を中心に構成されている。シャンソンを代表する名曲が名を連ね、ジュリエット・グレコを比較的手軽に楽しむ事が出来る作品。

 詳細ページは → こちら
 購入ページは → こちら

<オフィシャルサイト>
Site Juliette Greco

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(0) | 2006年05月15日  posted by 日向葵
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