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サブー・マルティネス (Sabu Martinez)

  

サブー・マルティネス (Sabu Martinez)

ラテン パーカッション奏者

サブー・マルティネス(1930〜1979)(本名ルイス・マルティネス) は米ニューヨークのエル・バリオに生まれる。ストリートバンド で空き缶を叩いて少年時代を過ごす。11才でプロデビューを 果たすと同時にラテンパーカッションを始めプエルトリコへの ツアーに出る。プエルトリコからニューヨークに戻ってからは 腕を上げ、著名なバンドを渡り歩くようになった。

1948年サブーはディジー・ガレスビーのバンドに参加する。 前任者チャノ・ポゾからアフロ・キューバン・ジャズ・ドラミング を引き継ぐ。1953年からはアート・ブレイキーと活動する。 これが縁で1957年ブルーノートからサブーのリーダー作の 「パロ・コンゴ」が発表されることになる。

順調かに見えたサブーだったが、1950年代末、ヘロインの 副作用に悩まされ、音楽活動からも遠さかねばならなかった。 その後友人の援助で音楽活動に復帰「ジャズ・エスパニョール」 を録音する。

1960年代始めから中盤までプエルトリコで過ごした後に、 1967年結婚してスウェーデンに移住する。ここで北欧を始め 多くのヨーロッパのアーティストと共演を重ね録音を残したが、 1979年1月13日、胃潰瘍のためこの世を去った。


<レビュー掲載作品>

Sabu Martinez/Palo Congo
Palo Congo
かなり純粋な形に近いアフロ・キューバン・ミュージック。ブルーノート1500番台にあって異彩を放っている。ギターにアルセニオ・ロドリゲスを迎え、サブー・マルティネスの激しいコンガやボンゴとの競演を実現。傑作。

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Sabu Martinez / Jazz Espagnole
Jazz Espagnole
サブー・マルティネス1961年の作品。本作ではハードでタイトなラテンジャズを展開。激しいコンガそして、ルイ・ラミレス他の強力なパーカッション陣そしてマーティー・シェラーのトランペット。聴き所が盛り沢山の作品。

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Sabu Martinez

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(2) | 2005年12月12日  posted by 日向葵
     
  

ナラ・レオン (Nara Leao)

  

ナラ・レオン (Nara Leao)

ブラジル 歌手 ギター奏者

ナラ・レオン(1942〜1989)(本名ナラ・ロフェーゴ・レオン)は、 ブラジルのエスピリトー州ヴィトーリア市で生まれた。父は 弁護士で経済的に恵まれた生活を送っていた。ナラ・レオン が1才の時にリオ・デ・ジャネイロに移住。このマンションが 後にボサノバ誕生の舞台となる、ナラ・レオンのサロンである。

12才の時にギターを手にしたナラは習っていたギター教室 の講師であるホベルト・メネスカルとカルロス・リラを通して 多くの若手音楽家と知り合うようになる。当時流行っていた サンバ・カンソンに飽き飽きとしていた彼等はナラ・レオンの マンションに入り浸るようになり演奏をし、議論を交わした。 コパカバーナのマンションは音楽家のサロンと化していった。

このナラ・レオンのサロンを訪れたアーティストはボサノバ に関わるアーティストほぼ全てといって良い程で、程なくし 訪れた アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルト ヴィニシウス・ジ・モライスによりその誕生が決定付けられた。

第二次世界大戦における農作物の輸出でバブル期を謳歌した ブラジルだったが、やがてバブル崩壊と共に政治不安を催し 軍事政権の台頭を許すようになった。バブルの崩壊とともに ボサノバブームも消沈し、カルロス・リラの影響を強く受けた ナラ・レオンはボサノバと決別し、サンバや民謡を歌うように なった。1963年にはファーストアルバム「ナラ」を発表。 ボサノバを歌わないナラ・レオンにプロデューサーは不満だっ たようだ。セカンドアルバム「オピニオン・ジ・ナラ」では、 この流れがより加速。ボサノバ決別を印象付けた。

1966年にはシコ・ブアルキの「ア・バンダ」を歌い第2回 MPB音楽祭で優勝。反軍事政権の運動であるトロピカリスモ に カエターノ・ヴェローゾ ジルベルト・ジル等と参加する。 この結果政治的圧力を受けたナラ・レオンは1968年から フランス亡命を余儀なくされる。この時期ボサノバと和解。 トッカやジョルジュ・ムスタキ等と共演した。

1970年代は育児を主な理由に音楽活動は休止していたが、 1977年発表の「Os Meus Amigos Sao Um Barato」を機に 第一線に復帰。様々なブラジルの音楽に取り組み、ブラジル 国内におけるボサノバ最注目のきっかけを与えた。

その後もアメリカンスタンダードを歌ったり精力的に活動を していたナラ・レオンだったが、1989年脳腫瘍によって 47才の短い生涯に幕を下ろした。


<レビュー掲載作品>

Nara Leao/Os Meus Amigos Sao Um Barato
Os Meus Amigos Sao Um Barato
亡命していたフランスから帰国した後の作品。トム・ジョビンにホベルト・メネスカル、カルロス・リラにジルベルト・ジル、シコ・ブアルキ等豪華メンバーで質の高い演奏が繰り広げられる。ボサノバとMPB両アーティストとの共演が意味したものとは?ナラ・レオン激動の人生の回顧録的作品。

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(10) | TrackBack(5) | 2005年12月12日  posted by 日向葵
     
  

マンフレッド・フェスト (Manfredo Fest)

  

マンフレッド・フェスト (Manfredo Fest)

ジャズサンバ ピアニスト

マンフレッド・フェスト(1936〜1999)はブラジルのリオグラ ンデ・ド・スール州のポルト・アレグリに生まれた。5才時から ピアノを学び、小学校を卒業後すぐに音楽学校に進学した。 ここでサックスも学んだようだ。ジャズに強く影響を受けた マンフレッド・フェストは、オスカー・ピーターソンがとても 気に入っていてそれは後の演奏スタイルにも影響を与えた。

22才になるとサンパウロへ移り住みジョージ・シアリングや レニー・トリスターノのスタイルを真似始め、クラブで演奏 するようになると、ブラジルのジョージ・シアリングの異名を とり、次第に注目されるようになっていった。

1963年「Bassa Nova,Nova Bossa」でメジャーデビューを 飾ると年1枚ペースでアルバムを製作。1966年に4作目 「Alma Brasileira」を発表後アメリカのミネアポリスへ移り 住んだマンフレッド・フェストはセルジオ・メンデスに再会。 ボサ・リオのリーダーになるよう説得される。これを快諾した マンフレッド・フェストはボサ・リオが解散するまでリーダー を勤めた。

1970年代ボサ・リオが解散するとハリウッドに移住する。 その後数枚のアルバムを出し、1990年代にコンコード レーベルに移籍。ピアノトリオでスコット・ハミルトン等と 共演。ボサノバスタンダードを中心としたナンバーで活動を 続けていたが、1999年、フロリダのタンパで死去。


<レビュー掲載作品>

Manfredo Fest Trio/Manfredo Fest Trio
Manfredo Fest Trio
1965年のサード・アルバム。ボサノバの数々の名曲を織り交ぜながら、軽快かつ流れるようなリズムで熱くスリリングな演奏をみせている。9曲目「So Voce」ではマンフレッド・フェストのサックスを聴くことも出来る。

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<関連サイト>
Manfredo Fest

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(0) | 2005年12月12日  posted by 日向葵
     
  

モンゴ・サンタマリア (Mongo Santamaria)

  

モンゴ・サンタマリア (Mongo Santamaria)

ジャズ パーカッション奏者

モンゴ・サンタマリア(1922〜2003)はキューバのハバナで生ま れる。ハバナのクラブを中心に活動していたが、1950年 活動拠点をニューヨークに移転。ペレス・プラード楽団に所属 した。1950年代後半からリーダー作を量産。1959年 発表の「モンゴ」は名曲「アフロ・ブルー」が収録されている。

1962年ハービー・ハンコック作曲「ウォーターメロンマン」 が大ヒット、モンゴ・サンタマリアは全米で大ブレイクした。 1960年代後半はR&B作品を中心にラテンジャズを下地 にロックやソウルのエッセンスを取り入れ好評を得た。


<レビュー掲載作品>

Mongo Santamaria/Mongo's Greatest Hits
Mongo's Greatest Hits
天才的パーカッショニストモンゴ・サンタマリア。初期の作品「アフロ・ブルー」に始まる独創的なアフロ・キューバン・ジャズの世界を構築したモンゴ・サンタマリアのベストヒット集。トランスミュージックを感じさせる深遠なる世界は必携といえる。

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<関連サイト>
Mongo Santamaria -drummerworld-

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(8) | TrackBack(1) | 2005年12月12日  posted by 日向葵
     
  

ミシェル・カミロ (Michel Camilo)

  

ミシェル・カミロ (Michel Camilo)

ジャズ ピアノ奏者 作編曲家

ミシェル・カミロ(1954〜)はドミニカ共和国サントドミンゴで 音楽一家に生まれる。5才からクラシックピアノと作曲を始め 16才の時には国立交響楽団と共演するまでになる。

1979年ニューヨークに渡り、ジュリアーノ音楽院とMannes カレッジで学ぶ傍ら、スタジオミュージシャン同士のユニット フレンチトーストに参加。自作曲の「ホワイ・ノット」がヒット し、アンソニー・ジャクソンらとトリオでの活動を開始する。

「ホワイ・ノット」はマンハッタン・トランスファーやパキート デ・リヴェラにもカバーされ、マンハッタン・トランスファーは この曲でグラミー賞に輝く。また、他にも作品「カリベ」は、 ディジー・ガレスビーにカバーされる等、作曲家としても高い 評価を受けるようになっていった。

1988年「Michel Camilo」でメジャーデビューを果たすと、 次々にヒット作を連発。ラテンジャズ界の寵児となった。 一方クラシックでもBBC交響楽団と自作曲「ピアノ協奏曲」を 録音するなど活発な活動を行っている。


<レビュー掲載作品>

Michel Camilo/Michel Camilo
Michel Camilo
ミシェル・カミロ、1988年発表のメジャーデビューアルバム。ラテン情緒あふれる軽快なメロディーとともに、複雑かつ独特、しかし気持ち良いリズムが披露される。クリアで繊細なタッチでありながら、情熱的で魅力的な演奏。発売後即座に大ヒットし、10週連続でトップ・ジャズ・アルバムのポジションを保った出世作。

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Michel Camilo/On Fire
On Fire
メジャー通算2作目の作品。ビルボードによって年間トップ3ジャズアルバムに選ばれた。前作同様、曲によってベーシストとドラマーを使い分けており、最終曲「On Fire」では壮大な世界観が表現されている。ゲストはフラメンコのラウール。

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<オフィシャルサイト>
Michel Camilo  Michel Camilo

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(3) | 2005年12月12日  posted by 日向葵
     
  

タンバトリオ/タンバ4 (Tamba Trio/Tamba4)

  

タンバトリオ/タンバ4 (Tamba Trio/Tamba4)

ボサノバ・ジャズサンバ グループ

ルイス・エサ(1936〜1992)はブラジルのリオ・デ・ジャネイロ生まれ。 奨学金を取りフリードリヒ・グルダやマルタ・アルヘリッチ等と共に ウィーンでクラシックピアノを学んだ。

帰国したルイス・エサは、1955年頃からリオ・デ・ジャネイロの ホテル等でピアノの演奏を披露していたが、ホベルト・メネスカル と知り合い意気投合。ホベルト・メネスカルのバンドに参加する。

ここにボサノヴァの潮流に身を投じたルイス・エサは1959年に ホベルト・メネスカルと共にサンバ・カンソンのマイーザのツアー ミュージシャンとしてアルゼンチンをツアー。同じ演奏メンバー にベースのベベートとドラムのエルシオ・ミリートがおり、翌年の 1960年この三人でタンバ・トリオを結成する。

1962年のアメリカ公演を機会にブラジルとアメリカの両国で 活動を活発化させ、1966年ドラマーがエルシオ・ミリートから オアーナに、ギター・ベース・パーカッションのドリオが加わる事 で、グループ名がタンバトリオからタンバ4となった。

その後一時期活動が休止していた時期もあったが、1970年代 に入り、オリジナルメンバーでタンバトリオとして活動を再開。

ジャズ・サンバがジャズピアノをサンバの複合リズムに乗せて演奏 するのに対し、タンバトリオ/タンバ4はクラシックピアノの立場 からアプローチしたボサノヴァを複合リズムに乗せて演奏する所 にその個性がある。特にタンバ4においてはベベートのフルート が加わり、ジャズサンバのグルーヴ感とは違った独特の世界観が 表現されている。そのアプローチ法は正に先程挙げたクラシック とボサノヴァをルーツにしたものであり、非常に個性的である。


<レビュー掲載作品>
-主要作品-

Tamba 4 / We and the Sea
We and the Sea
タンバ4、1967年の録音。ジャズ・サンバとはまた違ったブラジルインストロメンタルユニットであるタンバ4が一つの完成をみた作品。ピアノとフルートによるユニゾンなど聴き所が満載。フルートカルテット、タンバ4の魅力を十分に味わう事が出来る傑作。

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-関連作品-

Orlann Divo/Samba Em Paralelo
Samba Em Paralelo
オルラン・ヂーヴォの3rd。サンバを基調にボサノバ調の曲等、ヘタウマな立ち回りはなかなか器用といえる。ルイス・エサ(p)、ドリヴァル・フェレイラ(g)、パウロ・モウラ(a-sax)といった超豪華メンバーの参加も見所。

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<オフィシャルサイト>
TAMBA TRIO - Oficial

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(4) | TrackBack(1) | 2005年12月10日  posted by 日向葵
     
  

パウロ・モウラ (Paulo Moura)

  

パウロ・モウラ (Paulo Moura)

サックス/クラリネット奏者 作編曲家

バウロ・モウラ(1932〜)はブラジルのサンパウロで音楽一家に生 まれる。父はアマチュアバンドのリーダーでクラリネット奏者。 二人の兄はそれぞれトランペットとトロンボーンを吹いていた。

13才の時にパウロ・モウラはピアノを始め、リオデジャネイロ へ引っ越すと、18才から国立音楽学校で学び始めた。ここで 7年の過程を2年でクリアすると、Paulo Silva,Guerra Peixe にクラシックの音楽理論その他を学び、Moacir Santos,Cipo には、ポピュラー音楽に関して編曲その他について学んだ。

1950年に、パウロ・モウラはブラジル国営放送交響楽団で 指揮者兼編曲家として働く。世界各地をこの交響楽団と旅する 一方、別途にクラリネットやサックス奏者としても活躍する。

ニューヨークのカーネギーホールで開催された歴史的ボサノバ イベントにも参加しており、1992年にはPrêmio Sharp賞も 受賞している。


<レビュー掲載作品>
-主要作品-

Yamandu Costa e Paulo Moura / El Negro del Blanco
El Negro del Blanco
ブラジルインストロメンタル界の巨匠であり管楽器奏者のパウロ・モウラと、新進気鋭の7弦ギタリストのヤマンドゥー・コスタが2004年に残したのデュオ作品。南米独特の空気は休日の昼下がりにぴったりな音源といえるだろう。

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-関連作品-

Tenorio Jr./Embalo
Embalo
テノーリオ・ジュニオール、1964年の作品。唯一のリーダー作で、その一瞬の輝きを凝縮した名盤として名高い。短いジャズサンバの歴史とリンクするように儚くも短い人生。テノーリオ・ジュニオールの刹那的魅力が詰まった名盤。

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Orlann Divo/Samba Em Paralelo
Samba Em Paralelo
オルラン・ヂーヴォの3rd。サンバを基調にボサノバ調の曲等、ヘタウマな立ち回りはなかなか器用といえる。ルイス・エサ(p)、ドリヴァル・フェレイラ(g)、パウロ・モウラ(a-sax)といった超豪華メンバーの参加も見所。

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<オフィシャルサイト>
Paulo Moura

<参考文献:Ponteio Publishing,Inc.
Paulo Moura

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(4) | TrackBack(0) | 2005年12月10日  posted by 日向葵
     
  

ジョージ・ベンソン (George Benson)

  

ジョージ・ベンソン (George Benson)

ブラックコンテンポラリー・ジャズ ギター奏者/歌手

ジョージ・ベンソン(1943〜)は米ペンシルバニア州ピッツバーグ 生まれ。義父がギタリストであることも影響してか幼い頃から ギターに親しみ19才でプロデビューする。1964年に初の リーダー作「ザ・ニュー・ボス・ギター」を吹き込み話題となる。

1960年代はポスト・ウェス・モンゴメリー最有力候補として ブルージーで純粋なジャズギターを展開するが、1976年の ワーナー移籍をきっかけに音楽性が一転する。

ワーナー移籍によってマイケル・フランクスやアル・ジャロウ等 を育てたトミー・リピューマと知り合ったジョージ・ベンソンは トミー・リピューマをプロデューサーに抜擢する。これによって ジョージ・ベンソンは純粋なジャズギター路線からヴォーカルを フューチャーしたいわゆるソフト&メロウな音作りに一転する。

移籍同年の1976年に発表されたアルバム「ブリージン」は 収録曲の「マスカレード」を擁してグラミー賞2部門を受賞。 更に1980年にはクインシー・ジョーンズのプロデュースの下 「ギブ・ミー・ザ・ナイト」を発表。ジャズを始めR&B、ポップス ブラック・コンテンポラリーのヒットメーカーとして、計8回の グラミー賞受賞を数え、不動の地位を確立した。


<レビュー掲載作品>

-リーダー作品-

George Benson/In Concert-Carnegie Hall
In Concert-Carnegie Hall
やがてブラック・コンテンポラリー・ミュージックへと傾倒していくジョージ・ベンソン。クリード・テイラーの目指すコンテンポラリー・ジャズの発想とジョージ・ベンソンの音楽性が共鳴して生まれたブルージーなジャズ作品。

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-ゲスト参加作品-

デオダート / ラブ・アイランド
Love Island
デオダートが1978年に残したワーナー移籍後初となるアルバム。トミー・リピューマとの共同プロデュース。デオダートの作編曲を楽しむことが出来るミクスカルチャーのフュージョンである。豪華なゲスト陣との競演は緊張感の連続。正に熱い音である。

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Tomatito / Paseo de Los Castanos
Paseo de Los Castanos
トマティート2001年のマドリードにおける録音。ギタリストとしてジョージ・ベンソン、カンテでは娘のマリ・アンヘレス・フェルナンデス・トーレスが参加。現在世界最高といわれるフラメンコギター奏者の音を是非どうぞ!

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<オフィシャルサイト>
George Benson

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(2) | 2005年12月08日  posted by 日向葵
     
  

スティーブ・ガッド (Steve Gadd)

  

スティーブ・ガッド (Steve Gadd)

ジャズドラム奏者

スティーブ・ガッド(1945〜)はアメリカニューヨークに生まれた。

1970年代始めからニューヨークでセッションミュージシャン として音楽活動を開始する。ポール・サイモンのツアードラマー に抜擢された事で注目され、卓越したテクニックとグルーヴ感 のある演奏スタイルで一気にトップドラマーの仲間入りを果たす。

1970年代後半はフュージョン、ソウル系のセッションに多く 参加した。スタッフやスティーリー・ダンのセッションが有名。

ジャズ/フュージョン、R&B、ポップス、ロック、映画音楽と、 幅広いジャンルの演奏を卒なくこなし、その演奏テクニックは "ガッド・スタイル"と呼ばれ、多くのドラマーに影響を与えた。


<レビュー掲載作品>

Jim Hall/Concierto
Concierto
協奏曲にこだわり続けたホアキン・ロドリーゴが提示した命題に、ジム・ホールはコンボ形式という対称的な方法論で返答した。全体に渡って漂うブルージーな雰囲気に息を飲む。CTIの歴史を塗り替えた名盤。

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George Benson/In Concert Carnegie Hall
In Concert-Carnegie Hall
やがてブラック・コンテンポラリー・ミュージックへと傾倒していくジョージ・ベンソン。クリード・テイラーの目指すコンテンポラリー・ジャズの発想とジョージ・ベンソンの音楽性が共鳴して生まれたブルージーなジャズ作品。

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Michel Petrucciani / Both Worlds
Both Worlds
ミシェル・ペトルチアーニ、1997年ニューヨークにおける録音。スティーブ・ガッドとアンソニー・ジャクソンをリズムに迎え、3管のセクステットで臨む。全曲オリジナル曲で編曲はボブ・ブルックマイヤー。ミシェル・ペトルチアーニのコンボを聴きたい方におすすめ。

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<オフィシャルサイト>
The official Steve Gadd Website

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(2) | 2005年12月07日  posted by 日向葵
     
  

スタン・ゲッツ (Stan Getz)

  

スタン・ゲッツ (Stan Getz)

ジャズ テナーサックス奏者

スタン・ゲッツ(1927〜1991)は米フィラデルフィア生まれ。15才 の時にジャズの世界に入り、スタン・ケントン、ジミー・ドーシー、 ベニー・グッドマンと著名なアーティストのバンドを渡り歩く。

20才になる頃にクール・ジャズを代表する白人最高のテナー奏者 として叙情性豊かな知性溢れる奏法が定評を得る。しかし同時に 麻薬に手を染め始め、1954年の「ホールド・アップ事件」では 薬局に押し入ったりもした。

事件の後服役を済ませるとアメリカを離れ北欧へ旅立つ。北欧を 気に入ったスタン・ゲッツは同地に移住し、民謡を題材にした作品 を制作したり、北欧女性と結婚したりのんびりとした生活をする。

その後1961年アメリカへ帰国しジャズ復帰に意欲を見せたが そのブランクは大きかった。彼の奏法は時代遅れの烙印を押され 全く相手にされなかった。しかし、折りしもブラジルで生まれた ばかりの新しい音楽ボサノバを扱ったチャーリー・バードとの作品 「ジャズ・サンバ」がヒットし、ジャズ界におけるボサノバ奏者の 第一人者として評価されるようになった。その後1963年には アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトといった本場のボサノバアーティストとの作品「ゲッツ/ジルベルト」を 録音。本作はグラミー賞4部門を独占するなど大ヒットとなり、 その評価を不動のものとした。

その後も第一線で活躍し、晩年はガンとの闘病生活を続けつつも ステージに立ち、1991年6月6日亡くなった。


<レビュー掲載作品>
-主要作品-

Stan Getz Joao Gilberto/Getz/Gilberto
Getz/Gilberto
ブラジル音楽で最も有名な作品といって良いだろう。シンプルなジャズコンボ形式での音は今聴いてもとても新鮮。ドリヴァル・カイミやアリ・バホーゾ等のボサノバ以前の曲からボサノバまで幅広い選曲も聴きどころ。

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Stan Getz -verve music group-

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(18) | TrackBack(6) | 2005年12月07日  posted by 日向葵
     
  

ジューサ (Yusa)

  

ジューサ (Yusa)

キューバ ベーシスト

ジューサ(1973〜)はキューバのブエナ・ビスタ生まれ。6才の時に ギターを始め10才になるとアレハンドロ・ガルシア・カトゥルーラ 音楽学院の小学部でクラシックギターを学んだ。 その後、有名なアマデオ・ロルダン音楽学院に進み在学中にギターから キューバの伝統楽器トレスに持ち替えトレスの専門家として卒業。

音楽学校卒業後は、女性クインテットのクァジ・ジャズへの参加や、 ジューサ・イ・ドミンゴでのデュエットを経てトゥミ・ミュージック のモー・フィニに見出される。2002年にデビュー作「ジューサ」 を発表し大きな反響を呼ぶ。

ベース以外にもギター、トレス、キーボード等を操るがどれも卓越 したテクニックを持っている。キューバ音楽を基本に据えながらも、 ジャズやヒップホップ、新世代派MPBまで幅広い音楽に親しみ、 楽曲にその影響が色濃く表れている。マルチカルチャーな音楽家、 ジューサに今多くの視線が集まっている。

<レビュー掲載作品>

Yusa/Yusa
Yusa
キューバのトローバを下地に、西欧のジャズ、ポップス、R&B更にはブラジル新世代派の音楽まで取り込んで昇華させたジューサの音楽。ファーストアルバムにみせる激しくぶつかり合う野合としてのエネルギーを感じて欲しい。

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Yusa/Breathe
Breathe
1stアルバムに引き続きロベルト・カルカセスが編曲を担当。ジューサの魅力を上手く引き出している。レニーニ、セスト・センティド、アイデー・ミラネス、ケルビス・オチョアといった豪華なゲストも彩りを添えている。

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<オフィシャルサイト>
Yusa

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(6) | TrackBack(4) | 2005年12月06日  posted by 日向葵
     
  

ジョアン・ジルベルト (Joao Gilberto)

  

ジョアン・ジルベルト (Joao Gilberto)

ブラジル ギター奏者

ジョアン・ジルベルト(本名ジュヴェニアーノ・ジョアンジーニョ) (1930〜)はブラジルバイーア州ジュアゼイロで実業家の子として 生まれる。オルランド・シルヴァやディック・ファルネイとともに フランク・シナトラを愛して止まない少年時代を過ごす。ある時、 親戚にギターをもらったのを機に音楽にのめり込むが、音楽活動 に関して両親と折り合いがつかず、家出同然で故郷を後にする。 【続きを読む】

プロフィール/バイオグラフィー | Comment(4) | TrackBack(5) | 2005年12月04日  posted by 日向葵
     
  

ウェイン・ショーター (Wayne Shorter)

  

ウェイン・ショーター (Wayne Shorter)

ジャズサックス奏者 作編曲家

ウェイン・ショーター(1933〜)は米ニュージャージー州ニューアーク 生まれ。10代までクラリネットを吹いていた。18才の時になり、 サックスに転向。1950年代半ばニューヨーク州立大学在学中に ホレス・シルヴァーのバンドに参加。卒業後に2年間の兵役を経て、 1959年アート・ブレイキー・アンド・ジャズ・メッセンジャーズに 参加。1963年に同バンドを後にしたウェイン・ショーターは、 ジョン・コルトレーンの推薦で、1964年からマイルス・デイビス バンドに参加。新主流派全盛を築く。1970年ジョー・ザヴィヌル らと共にウェーザー・リポートを結成。フュージョン界に多大な影響 を残した。私生活では、長女のイスカちゃんが脳性麻痺で14歳の 短い生涯を閉じたり、妻のアナマリアが1996年に飛行機事故で 他界する等、輝かしい音楽的功績の影で連続する悲劇に見舞われた。 現在までで通算6度のグラミー賞を受賞したアメリカ音楽界の至宝。


<レビュー掲載作品>

Art Blakey And Jazz Messengers/The Big Beat
The Big Beat
ジャズメッセンジャーズ1960年の録音。当時新人だったウェイン・ショーターを音楽監督に抜擢して望んだ作品。ウェイン・ショーター、リー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリット。皆若いが個性溢れるメンバーの面々。名曲と共に彼らを見守るアート・ブレイキーの暖かさを感じる作品。

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(6) | TrackBack(3) | 2005年12月03日  posted by 日向葵
     
  

EQ (イー・キュー)

  

EQ (イー・キュー)

ジャズ サックスカルテット

2002年結成のサックスカルテット。小池修(sax)、青柳誠(p) 納浩一(b)、大坂昌彦(d)からなる。日本でも指折りの人気ジャズ 奏者が集まって結成されたユニットだけに、結成当時から大きな 話題を呼んだ。EQは"イコライザー"や"アース・カルテット"等、 様々な意味が含まれているという。環境に優しい音楽という点で 電子音楽に頼らずアコースティックサウンドに拘るという意味も あるようだ。特定のリーダーを作らずに、4人のメンバー全員で 現代におけるストレートアヘッドジャズを模索する。


<レビュー掲載作品>

EQ/Third Report
Third Report
3rd アルバム。お互いの力量を理解し合い、より実験的な音作りに挑戦している。全体的に非常におもしろく、斬新な趣向は緊張の連続となって表れる。4曲目の「雨下の砂漠」がおすすめ。快作。

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(0) | 2005年12月03日  posted by 日向葵
     
  

アグスティン・ペレイラ・ルセーナ (Agustin Pereyra Lucena)

  

アグスティン・ペレイラ・ルセーナ
(Agustin Pereyra Lucena)

アルゼンチン ブラジリアンギター奏者 作編曲家

「私のルーツはアルゼンチンにあって、憧れはブラジルにある。」

アルゼンチン人のアグスティン・ペレイラ・ルセーナはどの様にして ブラジルにここまで惹きつけられるようになっていったのだろうか。 当時アルゼンチンではブラジル音楽はあまり知られてはいなかった。 隣国同士とはいえ、広大な国土を持ち、様々な文化を内包する両国。 言語の違いもあり、両国の文化はその距離以上に離れていたようだ。

アグスティン・ペレイラ・ルセーナがブラジル文化に触れたきっかけ は、ブラジルから帰国した兄が持ち帰ったジョアン・ジルベルト バーデン・パウエルのレコードだった。瞬時にその音に魅せられた アグスティン・ペレイラ・ルセーナはそれをきっかけにギタリストの 道を歩み始める事となったようだ。

1970年頃になると、それまで音楽的にほとんど交流のなかった ブラジルからヴィニシウス・ジ・モライスが、トッキーニョ、を始め マリア・クレウーザ、セバスチャン・タバジョス等を伴い度々同国を 訪れるようんになった。1970年発表のアグスティンのデビュー アルバム「Agustin Pereyra Lucena」にヴィニシウス・ジ・モライス による賛辞が寄せられている。ボサノバ創成期からの音楽家である ヴィニシウス・ジ・モライスとの交流はアグスティンのブラジルへの 傾倒をより加速させた。

以後、母国でブラジル音楽の啓蒙に務め、ナナ・ヴァスコンセロス と共演したり、熱心な活動を続けていた。しかし、アルゼンチンで クーデターが起こり軍事政権が台頭し政情が不安定になると、活動 の場をヨーロッパに移す。北欧を中心にブラジル音楽の啓蒙に役割 を果たした。


<レビュー掲載作品>

Agustin Pereyra Lucena/Ese dia va a llegar
Ese dia va a llegar
この作品あたりからアグスティン・ペレイラ・ルセーナの音楽が構築され表現されてくる。ギター作品の色が薄れ、ヴォーカルやリード楽器も含めた全体が調和された、協調という美の空間が作られる。非常に心地良い。傑作。

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Agustin Pereyra Lucena

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(2) | TrackBack(0) | 2005年12月03日  posted by 日向葵
     
  

ボバン・マルコビッチ (Boban Markovic)

  

ボバン・マルコビッチ (Boban Markovic)

バルカンブラス トランペット奏者

昨今のバルカン音楽のブームは目を見張るものがある。

そのバルカン音楽にあって最重要バンドといえるのが今回紹介する セルビア出身のブラスバンド、ボバン・マルコビッチ・オルケスタル。 セルビア南部にあるグチャ村で、1961年より毎年行われている ブラス・バンド・コンクール。このコンクールで毎回のように受賞し、 コンクールの顔となっているのがボバン・マルコビッチのバンドだ。

しかし、彼らに大きな転機が訪れたのはエミール・クストリッツァ の映画「アンダーグラウンド」でゴラン・ブレゴビッチが手がけたサウンドトラックからだった。カンヌ国際映画祭でパルムドールを 受賞した映画の音楽を提供したことにより、ボバン・マルコビッチ のバンドは世界規模でフューチャーされるようになった。

ファンファーレ・チォカリーアなどに比べアンサンブルがしっかり しているボバンのバンドは音楽性では数段上といえるかもしらない。


<レビュー掲載作品>

Boban Markovic/Boban I Marko
Boban I Marko
ボバン・マルコビッチが16才の息子マルコのデビューを飾るべく企画した作品。ボバン・マルコビッチの伝統音楽に対する斬新なアレンジとソロ・プレイが圧巻。最も硬派なバルカンブラスといえよう。

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<関連サイト>
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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(2) | TrackBack(0) | 2005年12月02日  posted by 日向葵
     
  

ウアクチ (Uakti)

  

ウアクチ (Uakti)

創作楽器 演奏集団

ウアクチはブラジルのミナス・ジェライス州で1979年結成。 マルコ・アントニオ・ギマライス、パウロ・セルジオ・ドス・サントス、 デシオ・ジ・ソウザ・ラモス・フィーリョ、アルツル・アンドレス・ヒベイロからなる。 「創作楽器による演奏」という所に彼らのポリシーがあるようで、 ゴムや瓢箪、鍋の蓋からガラスや竹、塩化ビニールチューブ等の ありとあらゆるものから楽器を作り、それを演奏してきた。

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(0) | TrackBack(0) | 2005年12月01日  posted by 日向葵
     
  

ファンファーレ・チォカリーア (Fanfare Ciocarlia)

  

ファンファーレ・チォカリーア (Fanfare Ciocarlia)

世界最速のロマ(ジプシー)ブラスバンド

Fanfare Ciocarlia ファンファーレ・チォカリーア

ルーマニアが誇る世界最速のロマ(ジプシー)ブラスバンド。 寒村ゼチェ・プラジーニ村から起こった世界的ムーブメントは ドキュメント映画にもなっている。バルカンブラスの隆盛を牽引 する存在といって間違いないと思われる。今、最も熱い音だろう。


<ブログ内紹介作品>
 
Fanfare Ciocarlia/Radio Pascani
Radio Pascani
ラディオ・パスカーニ
    /ファンファーレ・チォカリーア

伝説はこのアルバムから幕開け。 荘厳なまでのブラスは当時から。 しかし、その後に比べるとまだ スピードはそれほどでもない。

詳細ページは → 企画中
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Fanfare Ciocarlia/Baro Biao
Baro Biao
バロ・ビァオ
    /ファンファーレ・チォカリーア

バルカン・ブラスの雄ファンファー レ・チォカリーアのセカンドアルバ ム。チューバのブホブホいう音を 聴くだけで凄さがわかるでしょう。

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Fanfare Ciocarlia/Iag Bari
Iag Bari
イアグ・バリ
    /ファンファーレ・チォカリーア

前作よりもスピード感が増した。 ロマ(ジプシー)ブラス界最速の異名 にふさわしい仕上がり。打ち込み かと思ってしまうくらい速い。

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Fanfare Ciocarlia/Gili Garabdi
Gili Garabdi
ジリ・ガラブディ
    /ファンファーレ・チォカリーア

最新作。このアルバムを携え 2005年10月の来日を迎える。 今から目が離せない。 興奮のるつぼは今や頂点に!

詳細ページは → 企画中
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 <映画>

炎のジプシーブラス〜地図にない村から〜
炎のジプシーブラス
炎のジプシーブラス
       〜地図にない村から〜

ルーマニアの小さな小さな村、 ゼチェ・プラジーニ村を1人の ドイツ人が訪れた。村のジプシー ブラスに出会った男が、ファンファ ーレ・チォカリーアを結成し、世界 的成功収めるまでを描いたドキュ メンタリー映画。ライブ映像も入っ ており、ファンならずとも一見の 価値がある作品。

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<マネージメント事務所のサイト>
 
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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(2) | TrackBack(2) | 2005年11月30日  posted by 日向葵
     
  

チック・コリア (Chick Corea)

  

チック・コリア (Chick Corea)

ジャズピアニスト 作詞作曲家

チック・コリア(1941〜)は米マサチューセッツ州チェルシー生まれ。 ジャズトランペット奏者の父親の影響を受けて6才時にピアノを 習い始め、ドラムやマリンバにも親しんだ。1960年初頭になり プロデビューを果たすと、モンゴ・サンタマリアやハービー・マンの バンドに参加。この時期のラテンミュージックとの接点は後の演奏 スタイルに大きな影響を与えたと思われる。1967年にスタン・ ゲッツ・グループに参加し次第に注目されるようになると、翌年 マイルスデイビス・グループに参加。この頃からソロ活動も活発化し、 「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブズ」といった傑作を残した。 1972年からはリターン・トゥー・フォーエヴァー(RTF)を結成し、 驚異的なセールスを記録。ジャズ界に確固たる地位を築き上げた。 リターン・トゥー・フォーエヴァーの解散後は、デュオ活動として ハービー・ハンコックやゲイリー・バートン、キース・ジャレット等 と共演を果たした。1985年にはエレクトリック・バンドを結成。 リターン・トゥー・フォエヴァー(RTF)の音をより発展させてみせた。 それ以降アコースティック・バンド、オリジンの活動やソロピアノ の作品を次々と発表し精力的な音楽活動を続けている。


<レビュー掲載作品一覧>

Chick Corea/The Song of Singing
The Song of Singing
即興性の高い一貫した内的世界が繰り広げられる作品。緻密にして繊細。計算されつくしたようでいて荒々しく緊張感に満ちたその演奏は、ひとたび聴くとチック・コリアの内省的な世界に引きずり込まれ抜け出せなくなる。

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Chick Corea / Return to Forever
Return to Forever
チック・コリア、1972年ニューヨークA&Rスタジオにおける録音。サークルでフリージャズの深遠な世界を表現したチック・コリアが次に展開したのはエレクトリックピアノやヴォーカルを交えた爽やかなフュージョン。30年以上も前に録音された作品とは思えない新鮮さで清涼感に溢れている。

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<オフィシャルサイト>
Chick Corea

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プロフィール/バイオグラフィー | Comment(12) | TrackBack(8) | 2005年11月26日  posted by 日向葵
     
  

ロン・カーター (Ron Carter)

  

ロン・カーター (Ron Carter)

ジャズベーシスト

ロン・カーター(1937〜)はアメリカミシガン州ファーデイル生まれ。 10才の時にチェロを始めたが、後にコントラバスに持ちかえる。 イーストマン音楽院とマンハッタン音楽院で学位を取得。交響楽団 への加入を考えていたが人種差別の壁等があり実現しなかった。

一転してジャズベーシストを志したロン・カーターは1959年、 チコ・ハミルトンのグループでプロデビューを果たす。これを機に 多くの著名ベーシストと交流し、その中で自己のス