ロシアを代表するソプラノ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(Галина Вишневская; Galina Vishnevskaya)と世界的チェロ奏者として知られるムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Мстислав Ростропович; Mstislav Rostropovich)夫婦による、セルゲイ・ラフマニノフとミハイル・グリンカの選曲集。グラモフォンより1976年にレコードとして販売されたが、ガリーナ80才の誕生日を記念してCD化された。ガリーナのソプラノとロストロボーヴィッチのピアノ伴奏という完全なデュオ作品で、ロストロボーヴィッチは一切チェロを弾いていない。小作りで、ともすれば練習風景を録音したというような編成だが、「ロシア人作曲家の曲をロシア人が演奏する。」という以上の、緊張感漂う、それでいて豊饒な音になっている。
ガリーナ・ヴィシネフスカヤとムスティスラフ・ロストロボーヴィッチは、人道活動にも熱心で、ヴィシネフスカヤ=ロストロポーヴィチ財団を設立し子供の医療改善に尽力したり、表現の自由を目的にソビエト反体制論者としてのアンドレイ・サハロフや、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、アンドレイ・タルコフスキーを擁護したりしたが、1970年に反体制の烙印を押され演奏活動停止を余儀なくされる。1974年に夫婦でソビエトを離れ、そのまま亡命。1978年、国籍剥奪。以来、1990年にゴルバチョフ政権で国籍を回復するまで、祖国の土を踏む事はなかった。本作品は、その亡命中の録音である。
一方、「近代ロシア音楽の父」と呼ばれるミハイル・グリンカ(Михаил Глинка; Mikhail Glinka)と、セルゲイ・ラフマニノフ(Серге́й Рахма́нинов; Sergei Rachmaninov)は、祖国で最期を迎える事が出来なかった。特にラフマニノフは、ロシア革命や滞在先スイスへのナチス侵攻等、政治・軍事的理由で祖国を捨てたり、移住せざるをえなかった。こういった環境は、ガリーナ・ヴィシネフスカヤとムスティスラフ・ロストロポーヴィチ夫婦の境遇とどこか似通っているかもしらない。どんなイデオロギーが理想なのか私には分からない。しかし、理想の実現には犠牲を伴うものなのだと。ロシア出国後に作曲活動がほとんど無くなった事を諌めたニコライ・メトネルに対して、「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない。」と答えたラフマニノフの言葉を思い出した。
01 | Noč Pečal’Na Op.26 No.12 | Sergei Rachmaninov; Ivan Bunin |
02 | Ne Poi, Krasavica Op.4 No.4 | Sergei Rachmaninov; Alexander Puschkin |
03 | Muzyka Op.34 No.8 | Sergei Rachmaninov; Jakow Polonskij |
04 | Vesennaja Voda Op.14 No.11 | Sergei Rachmaninov; Fedor Tjučev |
05 | Vokaliz Op.34 No.14 | Sergei Rachmaninov |
06 | Somnenie | Michail Glinka; Nestor Von Kukolnik |
07 | Ja Pomnju Čudnoe Mgnoven’E | Michail Glinka; Alexander Puschkin |
08 | Kak Sladko S Toboju Mne Byt’ | Michail Glinka; P.P. Ryndin |
09 | K Nej | Michail Glinka; Adam Mickiewicz |
10 | Tol’ko Unzal Ja Tebja | Michail Glinka; Anton Delvig |
11 | Venecianskaja Noč | Michail Glinka; Ivan Kozlow |
12 | Žavoronok | Michail Glinka; Nestor Von Kukolnik |
13 | Barkarola | Michail Glinka; Anonym |
Галина Вишневская; Galina Vishnevskaya : Sopran
Мстислав Ростропович; Mstislav Rostropovich : Piano
- 1976
- Grammophon; Universal
- 00289 477 6195