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シャバン・バイラモビッチ(Šaban Bajramović 1936-2008)は、ユーゴスラビアのニーシュ(Niš)に生まれ、セルビアとなったニーシュで死んだ。ロマ(ジプシー)という数奇な生い立ちだけではない。チトー政権下に反共の烙印を押され、生きて帰る者はいないとまで言われた監獄「Goli Otok」を生き延びた。むろん、無傷ではない。顔、そして、胸から恥骨に至る傷跡は、収監前には無かったものだ。

10年に渡る獄中生活の後、リリースしたシングルレコードで稼いだ金は、ギャンブルで失った。第二次世界大戦でナチスに蹂躙されたユーゴスラビア。チトー死後にジェノサイドに至ったユーゴスラビア。最早、国は分割し、地図上から消えてしまったユーゴスラビア。

シャバン・バイラモヴィッチは、何度も騙され続けてきた。脅され続けてきた。だから、人を信じない。音楽をし、そこを去るのみだった。

Šaban Bajramović – A Gypsy Legend (2001)

シャバン・バイラモヴィッチ「ア・ジプシー・レジェンド」(2001)

「ア・ジプシー・レジェンド(A Gypsy Legend)」は、シャバン・バイラモヴィッチ(Šaban Bajramović)が2001年にワールド・コネクションよりリリースした作品。編曲及び演奏は、モスタル・セヴダ・リユニオン(Mostar Sevdah Reunion)。モスタル・セヴダ・リユニオンのプロデューサー、ドラギ・シェスティッチ(Dragi Šestić)が、ユーゴスラビア紛争の余韻の残る中、6か月に及ぶ捜索の末にシャバン・バイラモヴィッチを見つけ出し録音にこぎつけた。

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